転職経験者に学ぶ!職種別転職体験談

転職を通して「相手の話を傾聴し、合わせる能力」を手に入れました。

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Aさん / 34歳 / 女性 / 愛知県
転職前:専門学校での柔道整復師・専科教員/年収300万円
転職後:整骨院での柔道整復師/年収300万円

転職成功

-転職前の企業での業務内容を詳しく教えてください。
柔道整復師を目指す学生への国家試験対策と柔道整復師に必要な実技の指導・助言・相談
-転職を考えたきっかけを教えてください。
周囲の感情や波長に自分が合わなかったため。
現場に出たことのない柔道整復師たちが教員になっており、臨床知識の欠乏・患者対応のスキルの低さなどを感じたため嫌気がさした。机の上だけでなく、現場で生きる知識を身につけたいという学生に対する無責任さを誰も感じていなかった。臨床実験などで自己満足を積み重ね、それを生かした手技ができるわけでもなく、お山の大将と成り下がっていくチーム学校の教員たちが滑稽に思えた。また、私が学生だった頃の資料を内容も変えずにいつまでも使い続けている点、なんとなく業務をこなしてその日一日が終わればいいという怠慢、学生への質問に対しての答えを持ち合わせていない割には、うまくその場を乗り切る話術の使いたい放題。このようなことに対して、私は違うというオーラや自分なりの授業を組み立てた際に、周囲からアンチの声があり、特に気にする内容でもないことに対して恫喝、目に見えた嫌味、授業の予定を教えない等、数々の嫌がらせがあった。人間、自分に合わないものは排除する。餓鬼畜生の世界に生きるもの達の心の模様を見ることができた。この経験に対しては後ろ向きな感情ではなく、むしろ哀れみの心を感じた。そして、尊敬していた上司たちの汚さと愚かさを直面することができ、人間の心を見ることができた。この経験は、自分の人生に対し意味のあるものになっていると思う。
-この業務だけはもっと続けたかったという業務があれば教えてください。
学生に対してもっと臨床での知識や話を伝えたかった。教科書ではこのように書いているが、実際はこんな出来事がある。その時に、私はこのように感じこうした等。指導だけでなく、助言・相談にも積極的にかかわりたかったが、叶わなかった。そのため、後悔している。
-転職活動はどのように行いましたか?
学友に紹介をしてもらった。資格者なので、特に焦る事もなく、働きながら紹介先を教えてもらった。
-転職後の会社に入社を決めた理由を教えてください。
整形外科併設の鍼灸接骨院のため、膝・腰・頸等のOPE後の患者のリハビリや指導ができるところが決め手となった。
臨床で生きる柔道整復師としては、マッサージばかりではなく、けがの処置をしたいはず。誰もがもつ憧れの現場だと思った。
-転職後の会社での業務内容を詳しく教えてください。
始めは整形外科でリハビリを行っていた。その後、鍼灸整骨院で管理者業務(経営・施術)を行った。2つの現場を兼用していた。
-入社前のイメージと違っていたところはどんなところですか?
鍼灸整骨院で管理者をすることになるとは思っていなかったため、始めの3年ぐらいは毎日「辞めたい」と思っていた。また、病院の患者がリハビリメインでなくマッサージ目当てで来院していたことも違っていた。
-仕事の難しさ、辛さを感じた点はありますか?またそれはどのように克服しましたか?
整形外科では患者がうるさかった。リハ職には難癖をつけてきて、医者にはいい顔をする。けがを一生懸命直そうとしてリハビリをする患者には心から寄り添い、何か他にもできることはないだろうかと考えていたが、マッサージを目当てに来ていた患者に対しては、医療保険を使う必要性はないと感じていたし、99%高齢者なので、ただの老害としか思えなかった。医療保険は病気やケガに対して支払われるものであり、肩こりの慰安目的マッサージでは使用できない。そのようなことも理解せずに、毎日来院している者たちにうんざりしていた。そのうんざりは毎日の業務をこなすことで自然になってきた。
鍼灸整骨院で管理者をしたときは、ストレスからくる眼科疾患を患った。管理者とは自分の肩の上にすべての責任が乗りかかっており、今までのように自分の技術を磨くことだけに専念していてはいけない。「経営」ということが乗りかかっている。選択肢としては2つだと考えた。1,やめる 2,経営業を学ぶ事であった。私は2の選択肢と向き合うことにして、「ディズニーランドの経営」が書かれている本を読んだ。どのようにして、客を満足させるのか、リピーターを増やすのかなどが具体的に書かれており、自分の業務と照らし合わせて、真似をしていった。また、HPも自分で作成し、SNS等も使い、宣伝をしていった。
-仕事の中でやりがいを感じた(ている)部分はどこですか?
整形外科・鍼灸整骨院どちらも99%辛い仕事だと思う。しかし、その99%の辛さがやりがいであったとも感じていた。1%の楽しみは患者との日常的な会話から学べる人生論や価値観を聞くことだった。
-転職は成功でしたか?失敗でしたか?
どの目線で話すかによって変わるが、収入や勤務時間等、福利厚生から考えると「大失敗」
ただ、人間らしく自分の好きなことに向き合うことからいうと「成功」。
-なぜそのように感じましたか?
向き合い、苦しみ考えた先に患者の症状の軽減・安定した経営があったので、自分らしく日々の業務と経営に向き合えるならば、それは成功であったと思う。
しかし、人間であるため欲がある。隣の芝は青く見えるというように、17時半や18時に退勤して週休2日、ボーナスあり、有給ありの世界に憧れを感じてしまうときは失敗。と感じた。
-この仕事の個人的な楽しみ方を教えてください。
まずは、学ぶ事。そして、その業務をしている以上、永遠に学び続けること。学びは自分を成長させる、学びは自分を苦しめる。患者に対して何ができるか、自分のできることの範囲で真摯に向き合い、考え、提供していく。こんな楽しいことはないと思います。
99%大変で面倒な職種です。年々、保険請求も厳しくなります。
その中でも、柔道整復師を必要としている状況は多々見られます。その中で、周りの平均値に合わせた請求、自分にしかない整骨院を作る。自分に対しての挑戦状がたたきつけられる職種は素敵だと私は感じています。
-この転職からどのようなことを学びましたか?
始めに、人間の蠢く心の在り方を学んだ。時に患者は嘘をつく。何かで不快な思いをしたら、風評被害を出す。そんな経験をいくつもした。そのような卑劣な行為をしている人間に対して始めは怒りがあったが、今は全くない。餓鬼畜生道に自ら進んでいく姿は滑稽であり、気の毒だと感じているからだ。
次に学んだことは「つながり」だ。患者が自分を人間として好きになってきてくれている。こんなつながりも稀に起こる。人と人はつながり、縁があって生きていることを感じたときは喜ばしい気持ちになる。
そして「死生観」。これが一番大きい学びになった。高齢の患者はいつか「死」を迎える。その死はどのような終わりを迎えるかによって人それぞれ顔が違う。自分なりの死生観、人生に対してどのように生きるか。そんなことを教えてもらったように感じる。
最後に、「合わせる」ということ。整骨院で業務をしていると必ず患者に合わせるというスキルが必要になる。20代の頃は、人に媚びず、相手が間違っていることは違うという。これこそが世の通りと役に立たない正義感に酔いしれていたが、そのようなことでは業務は成り立たないし、経営も傾くことを経験した。いつの間にか自分の店に患者が来ない。原因は自分の性格にあると感じた。相手の話を傾聴し、合わせる能力を手に入れるなければいけなかった。これは経験とともに学んでいくものだし、自分で能力の欠乏に気づいた時点で修正を図った。修正方法は2つあった。1つ目は「島田紳助」の本だった。当時、芸能界を引退して何年もなっていたが、自宅に本があったため、読んだ。売れている人の話し方、考え方、切り返し方、うなずき方等を勉強した。そうして、「相手に合わせる」能力を身につけることができた。もう一つは「患者になって考える」これが一番大きいキーワードだと思う。その人の考え方になってみて発言等を考える。その人の生活になってみて考える。そのようなことを日々繰り返し考えながらいると、いつの間にか「わかる先生」といわれるようになった。先生という肩書を外れた今も、話を聞くことに対しては上手だと思われているようだし、そのようになりたいと感じている。
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